<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="932"%> とよなかインキュベーションセンター
トップページ お知らせ 事業概要 施設紹介 入居者紹介 イベント 活動報告 アクセス お問い合わせ リンク  
 

 

    IM与那嶺のコラム



IM与那嶺のコラム   IM奥田のコラム


2010年
4月1日(木)

■……陰口なんか気にしない

みなさん、こんにちは、与那嶺です。最近は年度末(仕事)と私生活で忙しくなり、少々どたばたしております。
今日は、「陰口」についていろいろ考えてみたいと思います。

「陰口を言う」ということは、何かすごくマイナスのイメージがあります。面と向かっているときの「ものいい」と面と向かっていないときの「ものいい」に違いがあるというとらえ方です。あるいは「陰でこそこそ言わずに、本人に直接いうべき!」という意見や、「友達なら、陰で言うのはおかしい!」という発言にみられるように、陰口は言う人間の人格上問題があるような言われ方をします。

そういう陰口ではありますが、今回のコラムでは私はあえて陰口の味方になって考えてみたいと思います。

陰口が「じめっ」とした感じになるのは、「面と向かって言わない」という理由がもちろん大きいわけです。じゃーなぜ面と向かって言わないか。考えられる理由はいくつかありそうです。

まず、一つは「好みの問題」。たとえば大勢で宴会をするのが好きな人と、少人数でゆっくり話をしたい人。どちらがいい悪いではないですよね。
それから二つ目が「主義・思想の問題」。たとえば新自由主義が好きとか嫌いとか。こういうことは論争してもいいのかもしれませんが、よく見かけるのは互いに感情的になったりして、妥協点を見出しにくいことです。そうすると、「わかってくれる(くれそうな)人」を相手に、熱く語ったりします(私もそうです)。そして三つ目が「(人間)関係が壊れるというリスクの問題」。これ、多そうですし、一番ややこしそうな感じです。

この三つ目に関して言えば、「俺は面と向かって言うんだ」という人もたくさんいますが、世の中そんな人ばかりではないようです。ただ、陰口の内容にもよるのですが、陰口を言われている人は、言う人からある程度「信用」されていたり、「この人なんとかならんかなぁー」という発意から陰口が出てくることもあります。

よく、「陰であれだけ言っていたのに、さっきは知らん顔でニコニコしゃべっている」というのは、多くの人が見たり聞いたり、時には自分自身もそういう振る舞いをした経験があるかと思います。しかし、私はこういうことはあまり真に受けないようにしています。というのも、陰口をいうような関係であっても、実は腐れ縁的な関係であることも結構あるからです。

ホンネを言うと、私は「陰口」よりも「本当のことをいわねばならない」という 空気のようなものを実は心配しています。もちろん大事な局面では「本当のこと」をいうべきだと思いますが、その「本当のこと」というのが、実はその人が独善的に「正しい」と思いこんでいる場合や、あるいは「陰口」を言うことが正しくない、というプレッシャーを自分自身にかけてしまうことから、そのプレッシャーに耐えられなくなり、(勇気をもって?)相手に「本当のこと」を言うような場面に出くわすこともあります。
こうなってくると、「陰口」を言わずに「本人に面と向かって言う」ことが、相
手のためなのか果たして自分のためなのか、わからなくなってしまいます。

自分にも他人にも「欠点は直すべき」という「自分にも他人にも厳しい人」も時々いるようですが、多くは自分のことは棚にあげて、他人には厳しくチェックする、という姿勢が私も含めた「小市民」のありようだと感じています。

また、人間には指摘されると「琴線に触れる」地雷のようなものもあります。こういうことはそっとしておいた方がいいようにも思います。

陰口は、決してほめられるようなものではないかもしれませんが、言う方も言われる方もその関係性を維持するために必要な、「大人の知恵」のようなものも感じたりします。

 

 



 






※写真は全てイメージです
 
 
 
 
(文:与那嶺 学)
IM与那嶺のコラム   IM奥田のコラム
 
トップ お知らせ 事業概要 施設紹介 入居者紹介 イベント 活動報告 アクセス お問い合わせ リンク