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2010年
3月16日(火)

■……思春期の恋愛の効用

 幼少から思春期にかけての恋愛感情というのは、何か淡い感じがするものです。一方、オトナ(いつからオトナというんだろう?)になってからの恋愛というものは、何か即物的なところがあって、当り前ですが幼少の恋愛感情とは全く異なります。思春期の恋愛は、ちょうどその間という感じです。

 一般的に男性の思春期の恋愛感情というものは、何か「自分の中に(好きになった)異性がひとりないし複数、棲みついている」という感じがあるかと思います。そして自分のなかに棲みついたその異性と、一緒に遊びに行っている情景など、いろんなことを空想する、そういう感じだろうと思います。「努力すれば報われる」ではないですが、空想すればするほど、その恋愛がうまくいけばいいのですが、思春期とは残酷なものでうまくいかないケースが多いだろうと想像します。そういうこともあって、このような空想は時間の浪費だったのではないかと、自分がオトナになってかなり長い間疑問に思っていましたが、最近はそうでもないのではと考え始めているところです。

 話は変わりますが(う〜んと変わります)、働き方であるとか、婚活であるとか、企業や会社に関する話だとか、世の中には難しい問題が山積しているように見えますが、その多くの論調が「私」が中心になっているように見えます。

 「私」のキャリア、会社の「私」に対する評価、「私」の結婚...これはこれで、もちろん大事なことで、かつ切迫している様子も共感できるのですが、「私」の話が多くて、なんだか(私にとっての)「あなた」の話が少ないように感じるのは気のせいでしょうか。

  (婚活や働き方の厳しい状況を)おまえは何もわかっていない、という批判を承知でいいますが、実は「私」よりも「あなた」の存在が今の時代、とても大事ではないかと思っています。

 ひょっとすると、その「あなた」との関係は、思春期の恋愛のように結果が伴わなかったり、裏切られたという気持ちになって終わってしまうかもしれません。

 オトナのつらいところは、ある人に投入した資金や時間などの「コスト」とその「見返り」を、感覚的に暗算処理してしまう習い性が身についてしまっていることです。この習い性の慣性が強いために、われわれオトナは後だしジャンケン的な「低リスク」の行動をとりがちになります。このような「習い性」や「低リスクの行動」は、思春期の「空想」の世界から脱して、オトナの「現実」の世界に生きていくために必要な学びであるともいえそうです。しかし私は思うのですが、いま求められていることは「低リスク」の行動ではなく、「私にとってあなたは大事な存在です」と(態度で)表明することではないかと思います。大事な存在であることをどう(態度で)表明するか、と聞かれそうですが、たとえば、「その人」にいいことがあれば一緒になって喜んでみたり、よくないことが起これば一緒になってがっかりしたり励ましたり、そういう瑣末(さまつ)なことのように思います。

 気に入った人と一緒にいると祝祭的な気分になったり、あるいはその逆の気分になったり、ときには叱咤激励したり、それでも裏切られたり。こういうトレーニングは、案外、思春期の恋愛から来る空想によるものではないかと最近よく思ったりします。

 

 



 






※写真は全てイメージです
 
 
 
 
(文:与那嶺 学)
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