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2009年
12月16日(水)

……実はやってみなければわからない

  ニーズという言葉があります。「地域のニーズ」「消費者のニーズ」「お客様のニーズ」、いろいろあります。
  私は調査の仕事もよくやっています(実は本業でもあります)が、その立場でいうの
もなんですが、ニーズはよくわからないことが多いのです。調査も「聞き取り」や「アンケート」などいろいろやるんですが、それでも実はよくわからない。
  先日も国の関係機関の方とお話ししていて、「(豊中という)地域でニーズのある、技能・技術研修」について意見を求められる機会がありました。問題意識はいいと思いますし、私も関心あるテーマだったので、考えてみたいと思いましたが、「やっぱりよくわからない」のです。ニーズを探るのに、市内の事業所の業種構成を調べる、業種ごとの従業者数を調べる、企業を訪問して「どんな研修がいいですか?」と聞いて回る、アンケートをとってみる、いろいろ思いつくのですが、でも「やっぱりわからない」のです。

 豊中市が主催している「とよなか・ものづくりフォーラム」という事業があり、私もその事業に関係しているのですが、こちらが「人が集まりそう」と企画しても集まらなかったり、逆のケースがあったりです。
  たぶんですが、集客を予想するよりも、「やった方が早い」というのが正直なところです。ただ難しいのが、「見通しもなくやるのか?」という反論です。この反論の厳しいところは、それが「正論」だからです。この正論に対して、正論で切り返すなら、「集客を目的にしていない」ということになるかと思います。個人的にはそれでいいんだと思っています。

 これはたとえ話ですが、あるまちで住民を対象に「まちづくりに関心がありますか?」とアンケートで聞いたところ、100人中5人が「ある」と回答したとしましょう。この場合、「まちづくりに関心がある人の割合は5%」でしたと結論付けるやり方と、もうひとつは「その5人を核に、地域の活性化ができないか」という問いのたて方をしてみる方法です。
  この2つのアプローチの最大の違いは、「未来は変わる可能性がある」とみるかどうかの違いにあると思います。「まちづくりに関心がある人の割合は5%」というのは事実で、確かに事実は大切なのですが、この場合の事実は「時間軸を『現在』で切っている」ということになります。これに対して「未来」を語る際には、事実を淡々と積み上げていくだけではなく、どこかで「高跳び」しなければなりません。この「高跳び」は、「事実」の積み上げではなく「未来をこうしたい」という「恣意性」が含まれていなければなりません。
  ではその「恣意性」をもつのは誰か? 先の例でいえば「まちづくりに関心がある5人」とその5人に「共感する人」になります。

 先の技能研修の話に戻しますが、「どんな技能・技術研修がいいと思いますか?」という問いには、「なんでもいいと思いますよ、やってみなければわからないので」というのが正直な私の答えになります。ニーズがあるかどうかよりも、私は実施主体サイドの「恣意性」に期待したいのです。その恣意性とは、「仮に一人しか応募がなくても、がっかりさせない」という気概のようなものです。その気概があれば、一人の参加者をきっかけに、「地域で若手の人材育成に本気で取り組む」熱意が徐々に企業にも伝わるかもしれません。そんなことを関係者で夢想することが、私がやっているような仕事の、本当の意味での醍醐味であるように思います。



 




   

とよなかものづくりフォーラム



 
 


 
(文:与那嶺 学)
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