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2009年
9月1日(火)

……事業所の存続と営業利益

 みなさん、こんにちは、与那嶺です。冷夏と言われていましたが、もうすっかり秋の様相を呈しています。景気については、良くなっているのかその逆なのか、いまだによくわからない感じがします。
  今回は事業所の存続と営業利益の関係について考えてみたいと思います。

(重くのしかかる借入金の返済)
  昨年秋以降の、いわゆるリーマンショック以後なかなか中小企業の景況感でいい話が聞こえてきません。私は「去年の8月を100とすると、底はいくらで現在はいくらになりますか?」という質問を時々企業の方にします。多い回答が「底は50くらいで、いまは60〜70くらい」というものです。最悪の状況からは一段落した感じがしますが、どうなのでしょう。

  仮に30下がっているとした場合、それがどんな意味を持っているか考えてみたいと思います。通常、企業経営の場合、売上高の90%以上は、ほぼ「義務的な経費」に消えていきます。したがって、30も下がると「経費削減のために、何かに手をつける」必要が生じそうです。こういうことは総論では理解できても、実際の経営の現場では“給与を引き下げる”あるいは“人員を削減する”など、機械的に対処できないことも多いので、大きなストレスを抱える経営者も多いと思います。

  30下がることだけでもたいへんなんですが、昨年末までに政府の緊急融資を受けている企業は、それに加えて借入金の返済が始まります。そうすると30下がる以上に実質は資金が圧迫されることになります。

(緊急融資には批判もある)
  私は公的機関の人を中心に、緊急融資について批判的な声をよく耳にします。端的に言うと「貸しても返せないんじゃないか?」というものです。この批判は私にとって一定の説得力をもっていますが、とはいえ私には「それ以外の方法が思いつかない」のが現状です。大企業で一定の要件を満たせば、場合によっては国が資本注入する道(エルピーダメモリの例)もありますし、製造業の研究開発型企業の場合なら、先だっての国の試作開発の補助金などもありますが、それに該当しない企業の方が多いのが現状です。

(事業所継続の可否判断は営業利益にあるんだけれど...)
  ある企業の存続が可能かどうかは、営業利益が出るかどうかにかかっていそうです。したがって事業ごとに営業利益が出るかどうかの確認作業が中小零細企業の場合、必要になりますが、そこに向き合うのは決して精神的に楽なことではないのです。“昔からなじみだった”とか“利益は出ていなくても必要な事業”であるとか、理由はいろいろありそうです。そういうある種「うだうだした状態」を“それは甘えである”と一喝してしまうことは簡単なんですが、「うだうだする気持ち」も私もわからないではありません。

  ではどうすればいいのでしょうか? ここでも私には妙案はありません。
  妙案はありませんが、とりあえず“営業利益が出る事業範囲”を特定し、そこを企業の“コアとして定める”ことからスタートする以外ないような気がします。「そんなこと言われなくてもわかってるわ」と指摘されそうですが、人員を削減したり給与をカットしたりという大きな決断に経営者が迫られている、ということを多くの人に理解していただければと思います。ただし、本当に企業存続のために営業利益の出る範囲で人を雇用するとした場合、本当はものすごく多くの失業者が出てしまいます。したがって、“営業利益が出る範囲”で事業するなんか当たり前すぎる、とお考えの方がおられれば、そういうあなたも私も“営業利益が出る範囲”からはみ出している人材の可能性がある、ということを勘定に入れる必要があると思います。

  このようなことから学ぶことができることの一つに、「答えを出す」ことよりも「苦しみを関係者で抱えながらも、選択し決断して前に進めていくことの難しさ」にあるような気がします。

(柳田邦男の「犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日」)
  柳田邦男さんの著作に精神を病んだ次男が自死された体験を綴った「犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日」という作品があります。私はいまここで改正臓器移植法について議論したいわけではありません。

  著書のなかでは柳田さんが脳死状態にある次男といろんな“時間を共有する”場面が描かれていて、死を受容する、あるいは臓器移植を受け入れるには、家族には時間が必要であると指摘しています。そして、“臓器さえあればよい”という風潮に警告をならしています。繰り返しますが、私は改正臓器移植法について自説を述べたいのではなく、一見「答えは分かり切っている」と思われそうなことでも、「時間が必要」ということに留意したいといいたいのです。

 なんだかつらつらとわかりにくいことを書きつづっていますが、法令遵守とか経営者責任とか労働者の権利とか、そんな“きれいごと”だけでは“需要の縮小”に耐えることができないような気がします。



 


   

  ※上の写真は全てイメージです


(文:与那嶺 学)
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