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2009年
5月18日(月)

……中国のおもてなし体験 −中国訪問記 その2

 中国へ行ってみて、少し意外に感じたことのひとつに、「人間関係がぎすぎすしていない」ように見えたことがあります。

  少し前、村上龍のメールマガジンで、中国では不景気になったとしても、日本ほどホームレスが街にあふれないのではないかという内容が知人の話として紹介されていました。
そういう状況になれば家族や親族、友人宅などに身を寄せるだろうということです。
ホームレスのような生活に困難を抱えた人を柔軟に受け入れる素地がいまの日本にあるかどうかといえば、そうでないだろうという答えが多数を占めるような気がします。

(私の大事な人の、大事な人は、私にとって大事な人である)
 いきいなり小見出しが禅問答のようになっていますが、たとえば、あなたの親友にAさんがいると仮定します。
そのAさんにとって大事な人がBさんである場合、中国ではあなたは、BさんをAさん同様とても丁寧に扱う、そういう感じです。
この場合、あなたの「好き嫌い」の感覚よりも、Bさんを丁寧に処遇することがAさんに対する“気持ちを表す”ことにつながる、そんな感じです。

合肥阪西情報コンサルテイング有限公司のスタッフの方々にとって「日本から来た人たち(つまり我々)」は、すべてオーナーである楊さんを小窓にしてみています。
現地スタッフと楊さん、また楊さんと我々は、それぞれの回路で通じています。

ところが、現地スタッフと我々は直結する回路を有していません。
こういう関係の中での話ですが、現地のスタッフの方々に、我々は本当によくしていただきました。

たとえばスタッフの方が我々の荷物を持つ、それも相当積極的にということもありましたが、なにかこう...そういうことだけでなく、中国に不慣れな我々のことをいつも「気にかけてくれている」という気持ちの部分がとても伝わってきました。

(「気にかける」ということ)
 現地スタッフの方々の、我々に対する行為の中には、「料理に満足しているだろうか」、あるいは「夜中におなかがすくんじゃないか」、「疲れていないだろうか」など、心の中で思っていることが、そのまま「行為として表わされている」という印象を受けました。

なにが言いたいかというと、知識化(マニュアル化)されたサービスではないということです。
実は、現地のスタッフの方々は我々の滞在中、慣れないハイヒールを履いて、足が相当痛いという状況でしたが、本当に献身的にサポートしてくれました。
私にとって、「気にかける」という心持は、その人がある意味、心の中に半分常駐しているような状態だと思います。

  こういう接し方をされて私がふと考えたことは、人に対して「気にかける」ということは気持ちにゆとりがなければできないかどうか、ということでした。
一般論ですが、経済的なゆとりは日本のほうがありそうです。
気持ちのゆとりとは、経済的ゆとりと関係がありそうです。
しかしどう考えてもやっぱり経済的なゆとりだけが「気にかける」ことに直結するわけではなさそうですね。

恋愛の初動期も、相手の存在が「気にかかる」ということからスタートしますね。
当たり前の話ですが、恋愛って、経済的なゆとりから生まれるものではありませんよね。

  このように考えると、経済的に余裕がなくても人に対して「気にかける」心をもつことは、ものすごく健全なことといえるかもしれません。

私も、現地スタッフの方々を見習い、いまよりもう少し健全な人間に近づきたいと思います。

次回は、現地の産業政策の様子、市政府の方たちとのディスカッションの様子についてお伝えしたいと思います。

 


 
  
(文:与那嶺 学)
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