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2008年
10月16日(木)

戦争、人権と企業経営

 戦争や人権の話というのは、なにかたいへん政治的な匂いがして、話題としては敬遠されがちだと私自身感じています。
今回は、こうした話題を政治的ではなく、少し切り口を変えて企業経営との関係で論じたいと思います。

(企業活動は「平和」を指向する)

  平和の厳密な定義はさておき、おおむね「戦闘状態におびやかされることなく、治安が安定していて、市民の自由が保障されている状態」と捉えることができそうです。
日本を含めて、ある主権国家が軍備を増強するかどうかで喧々諤々の議論が展開されていることは周知のとおりです。ここではその是非は論じませんが、企業活動は明らかに平和を志向しています。

  ある国で一部の権力者が国を治めている場合、一部の人はたくさんお金を持っていて、その人相手に商売すれば、当初は“そこそこ”の商売(貿易)ができると思います。
しかし、その国が民主化のプロセスを経て、治安や政治が安定すると、外国による直接投資も始まります。こうして、一般の人たちが徐々に経済的に豊かになり、生活環境が向上してきます。
そうすると、一部の人だけでなく、一般の人をお客様とする“大きな”商売(貿易)が成り立ってきます。このように考えると、日本についていえば、世界中の国が民主化され、平和な状態になれば、市場はぐっと広くなることがわかります。

  先日出版された、『「花のタネは真夏に蒔くな」日本一の大投資家・竹田和平が語る旦那的投資哲学』(水澤潤著、文芸春秋)では、「民間は、すごく平和を願っています。商売をするものは、なによりも平和がありがたいのです。
それを経済を知らない人がガナリ立てて・・・」(同書p192)という記述があります。いい文章ですね。
  平和が浸透するということの意味は、“我々には被害が及ばないから良い”という、こちら側だけの論理だけではなく、“あなたが平和なら私もうれしいです”という、双方向の発展を願う気持ちも見えてきます。
環境や資源の問題もあって、無条件で経済的な発展を喜ぶことの是非は意見が分かれることろかもしれません。しかし、常識を備えた企業経営者が一生懸命に企業活動に取り組むことそのものが、人や社会が“より良くなる”ことに直結するのなら、平和は企業活動にとっての最大の社会基盤かもしれません。

(多様性を理解する姿勢は、営業基盤を拡大する)

  いまの日本の社会を取り巻く課題に、たとえばいじめの問題、差別の問題などがあります。こうした課題に対して、学校教育でいろいろ教えることは非常に大切なことだと思います。 一方で、このことを企業経営的に考えることも可能ではないかと思います。
 
  これは感覚的な話で申し訳ないですが、私個人としては、いじめや差別を平気で行う子どもは、将来経済的に厳しい環境に置かれる可能性が高いと考えています。
企業経営者であれば社員について、また働いている人なら部下や上司を思い浮かべていただければいいのですが、人を平気でいじめる人や、特定の人たちに差別心を持つ人とは、できれば一緒に働きたくないと思うでしょう。自分が一緒に仕事をしていてたいへんであるということも大きな理由ですが、別のこととして、人を平気でいじめる人や、特定の人たちに差別心を持つ人にあふれる組織は、ビジネスチャンスを逃し、経営体として存続することが危ぶまれる危険もあります。
 
  たとえばアジア諸国に対して、激しい差別意識を持つ人は、その国で現地法人の責任者になったところで、うまくビジネスを展開することはできないでしょう。 また同じように人をいじめる人が、お客様と真摯に向き合うかどうかも怪しいものです。 この話は読んだ書物さえも忘れたのですが、インドに伝統的なスポーツがあって、その大会が毎年行われるそうです。日本企業でその大会のスポンサーをしているところはないそうです(現時点では不明ですが)。

 ところが、韓国企業(サムソンやLG)は、こうした大会のスポンサーを数年にわたりつとめているそうです。そしてある製品について、韓国製品と日本製品とでは、インドでの浸透率も大きく異なるそうです。
もし、ある国で日本と他国で市場拡大の競争になれば、どうやって自国の製品を浸透させるかは、知恵を使って考えるものだと思います。仮にこれを“企業戦略”と呼ぶとすれば、その戦略には「多様性を理解する」という姿勢が本気のところほど有利ではないかと思います。
 
  このように考えると、人を平気でいじめる子どもや、特定の人たちに差別心を持つ子どもというのは、社会に出てから“はじかれてしまう”リスクが大きくなります。もちろん社会に出てから矯正されていくことも可能だとは思いますが、なんせ教育コストが高くつきすぎる問題があります。

 こういう話をすると、「いやいや私の組織では、まだまだタイヘンな上司が現役でふんぞり返っているよ」などの反論もありそうです。しかし、そういうときは「ダイジョウブ、だんだんですが、先はきっと良くなりますよ」と答えることにしています。
私は”希望”という言葉は、いいように将来が変わることに対して楽観する、そういうことを神様が小市民に与えてくれたもの−と解釈しています。
(注)私自身は無宗教の人間です。念のため。


 

 
          
  
※写真は全てイメージです。
(文:与那嶺 学)
 
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